INICIAR SESIÓN少し躊躇った後、厳しい顔のまま告げた。
「いいか、エマヌエーレ。……万が一、皇太子から夜伽を命じられても、そなたは断れぬ」 「ぇ……?」 一瞬、何を言われたのか分からなかった。 夜伽とはつまり、皇太子と閨を共にするということだ。 「公の場で求められることはない。私がその場にいれば、断れるように口添えはする。だが、もしそなた一人の時に命じられたら、謹んで受けよ」 「ですが! 私は、レオナール王子の婚約者ですっ」 王族の婚約者を夜伽に命じるなど、普通は考えられない。 王太子は哀れむようにエマを見つめた。 「皇太子は、何をしても許される立場だ。正当な理由があれば抗議はできるが、多少の暴挙には目をつむるしかない」 その言葉に、エマは悟った。 「……私がオメガだから、受けねばならないと言うことですか?」 「そうだ」 ためらいなく頷く王太子に、エマは唇を噛んだ。 も「……ッ」 ハッと目を覚ますと、ベッドで眠っていた。 視線を周りに向け、ここが客間の寝室だと気付く。 (……夢、か) ルシアンは深く息を吐き出した。 あの夜のエマを夢で見るのは、何度目だろうか。 (本当は、繋がりたくてたまらなかった……その未練だな) あの時は、エマの熱を静めることが最優先だったため、理性を失うわけにはいかなかった。 それに、エマの立場を考えれば、最後の一線を越えずに済んで良かったのだ。 そんなふうに自分を慰め、遠く離れたエマを想った。 「エマ……あと少しだけ、待っていてください」 愛しいエマの姿を思い浮かべて、ルシアンは拳を握りしめた。+ + + エマ達がアレシオン伯爵領へ出立してから数日後。 謹慎中のレオナールは、ランダリエ王宮の自室で不満を抱えていた。 王太子からは、書類仕事をするように言われていたが、レオナールはそれらを補佐官へ押しつけ、自分は鬱憤を吐き出すことに躍起になっていた。 近衛騎士団の第二隊、王太子の近衛兵が見張りに立っているため、自室の外へは一歩も出ることを許されない。レオナールは、苛立ちを押し殺すこともできず、室内をうろついていた。 「どうして、オレが謹慎を受けねばならんのだ!」 怒声とともに、手近な花瓶が床へ叩きつけられる。 白磁が砕け散る音が、静まり返った部屋に響いた。 「すべて、あの忌々しい銀髪の野郎のせいだ! 覚えていろよ、必ず後悔させてやる!」 レオナールの世話は、侍女長と、その息子であり従者のドレイクだけが許されている。 「まあ、レオナール様。お怪我をしては大変ですっ」 侍女長は床に膝をつき、破片を拾い集めた。 その横で、ドレイクがレオナールを宥める。 「お怒りはごもっともでございます、レオナール様。あの平民は、厚かましくも王太子殿下に取り入り、あの貴族を焚きつけて、レオナール様を陥れ
残るは、ワイール伯爵の執務室にある隠し金庫の物証だけだ。 ノワジエール侯爵とのやりとりの書簡や、原石偽装の指示書。ワイール伯爵の顧客帳簿等など、しっかり残っているのは把握済みである。 ルシアンは、口端をわずかに上げた。 「殿下から連絡が入り次第、この地を発つとしよう」 ティエリーへの報告は、すでに終えていた。彼は近衛兵を率いて、間もなく近隣の森まで到着するはずだ。 さらに、ダリウへは事前に文を送っている。帝国側は近衛兵を率いてワイール領へ入るが、これは軍事的な侵攻ではなく、逃亡貴族を捕らえるための派遣である、と。 「面倒な依頼だったが……優秀な部下のおかげで、ようやく終わりが見えるな」 深く息を吐くルシアンに、ノエルが遠慮がちに言った。 「でしたら、しばらくお休みになってはいかがでしょう。私どもは外で待機しておりますので」 ノエルがそう言うのなら、本当に疲れが滲んでいるのかもしれない。 (今回の任務は、性急に進めたからな) エマを一刻も早くレオナールから引き離すために、急がなくてはいけなかった。 ダリウにも、二人が会わずに済むように配慮を要請したが、レオナールの謹慎について、側妃が騒ぎ立てているらしい。 潜入捜査の任務中であり、焦りもあったため、ルシアンはつねに神経を張り巡らしていた。夜も、気が張り詰めているせいか眠りが浅く、疲労がたまっていたようだ。 「……そうだな。しばらく休もう」 ルシアンが答えると、ノエルがホッとしたように頷いた。 寝室へ向かい扉を閉めると、一人になる。仕事が一段落したこともあり、少しだけ気が緩んだ。 ベッドに腰掛け、懐から小さな袋を取り出した。リネン地の四角い袋には、エマのお守りが入っている。 『昼』は貴方の道が輝き 『夜』が貴方の愛を包む 『星』は幾千の祝福を告げ 『天』は幾万の希望を贈る エマと別れてから、何度も取り出し、読み返した。 この詩は暗記してしまったが、エマの
エマのために動いてくれているはずだが、どこにいるのか、何をしているのか、具体的なことは何も知らないのだ。(早く、お会いしたいな) 最後にルシアンと別れてから、もう二週間が経つ。 迎えに来ると言ってくれた約束は、数ヶ月、もしくは数年かかるかもしれない。 次、いつ会えるか分からないこそ、ルシアンが恋しくてたまらなかった。 + + + ルシアンがワイール領に来てから二週間が経つ。 皇太子から宝飾制作の依頼の判断をするため、という名目で極秘に訪れ、領主の館に滞在していた。 ワイール伯爵は、野心の強い男だが、同時に警戒心も強い。 ルシアンが調査のために動いていることを知られないように、あくまで客人として振る舞った。「ワイール伯爵の奥方は、まだ王都に?」「はい。妻はずっと領地にいるのが退屈なようでして。側妃の話し相手を務めると言いながら、羽を伸ばしているのでしょう」 ワイール伯爵は、へつらうように笑いながら答える。 帝国の皇太子ティエリーを招いた王太子主催の夜会で、レオナールが不祥事を起こしたことは、すでに社交界で広まっていた。その不祥事の被害者であるルシアンに対し、ワイール伯爵は内心で冷や汗ものだったはずだ。 帝国の皇族から宝飾制作の依頼を賜れる絶好の機会を得た直後に、あの騒ぎが起きたのだから。 それでも、打ち合わせ通りにルシアンがワイール領の視察に訪れたことで、安堵したはずだ。これ以上、ルシアンの機嫌を損ねないようにと、レオナールの関係者を遠ざけたようだった。 実際にジゼル側妃は、謹慎を命じられたレオナールが可哀想だと国王に訴え、王太子には激しい抗議をしているらしい。ジゼル側妃の妹であるワイール伯爵夫人が自ら、側妃を慰めるという名目で王都に残っていることは、ワイール伯爵やルシアンにとっても好都合だ。(伯爵夫人は、ワイール領に嫁いだ自分の立場に不満があるようだな) 同じノワジエール侯爵家に生まれた姉妹でありながら、姉は王の側妃
「中立派の令嬢達の間では、お二人のラブロマンスで、密かに盛り上がっているのですよ~!」 「えっ、どういうこと!?」 エマはびっくりして声が裏返った。 ナタリナも驚いた顔をしている。 (僕とルシアン様のラブロマンスって、なに!?) 「中立派の令嬢たちは、爵位の低い貴族も多いんですよ~」 「だから、第二王子が嫌いな子も多くって~」 「いつもカミラ様を連れてますし、若い女の子がいれば鼻の下を伸ばすような人だものね~」 レオナールの評判は、下級貴族の間でも良くないようだ。 双子は両脇からエマをギュッと抱きしめて、切実な声で訴える。 「エマ様をないがしろにする男なんて、シィは認めません!」 「スゥだって同じです! あんな男より、デイモンド伯爵様の方がずっと素敵じゃないですか~!」 「スースの言うとおりです! デイモンド伯爵様は、童話に出てくる王子様みたいですもの!」 「そんな方が、エマ様に優しく微笑みかけてる姿をみれば……!」 「密かな片思い? もしくは、禁断の恋!?」 「って、思った方がいたらしくて!」 「禁断の恋に身を焦がす、若い男女の恋物語が、飛ぶように売れてるんですよ~」 「ちょっと待って! それ、物語だよね!?」 エマは慌てて二人を見上げるが、シーシとスースはニコニコしたままだ。 「いやですわ、エマ様。モデルが誰かなんて、知らない者はいませんわよ」 「スースの言うとおりです! 聖樹を金の聖女に、設定を変えてるだけです」 「お茶会で会った中立派の令嬢達は、みな、そのロマンス本を読んでました」 「それで、金の聖女と銀の伯爵のラブロマンス本が、一部で流行しているんです~」 シーシとスースは楽しそうに話すが、その本が側妃派に知れ渡ったらマズイのではないだろうか。 エマとレオナールの婚約は、王命なのだ。それに反するような内容の小説が流行ってるなんて……もしレオナールの耳に入ったら、またエマのせいだと理不尽になじるはずだ。 「大丈
エマがイーリス大神殿に来た当初から、ナタリナはずっとエマの侍女だった。剣を持ったところなんて見たことがない。 (僕が、知らないだけなのかな?) 思い返せば、ときどき物騒な言葉が飛び出してきたが、あれも本気だったんだろうか。 刃物の扱いが上手なのは知っているけど……もしかして、エマの侍女になることを選んだから、騎士を諦めたのだろうか。 そう思うと、少し不安になった。 「ナタリナは……騎士になりたかったの?」 おそるおそる尋ねると、ナタリナが目を見開いた。 驚いた顔で首を振る。 「まあ、何をおっしゃるのですか! 騎士などと、そんな面倒くさい職は考えられませんわ!」 「め、面倒くさい?」 「ええ! まったく、身分の上下関係がうるさいのです。強さこそすべて。それがケイル家の家訓だというのに」 ナタリナは眉間に皺を寄せて、馬車の窓から外を見上げた。 その先には、今回の護衛にあたる騎士の姿が見える。 「あの頃は見習いでしたが、私より弱い上司に従うほど、忍耐がございませんでした。ちょうど、エマ様の侍女になってほしいとお話があり、尊い方にお仕えできる良い機会だと思って引き受けたのです」 「そうだったんだ」 (そういえば、僕が平民で男だったから、誰も聖花女になりたがらなかったんだよね) エマがイーリス大神殿に来たころは、他の聖樹だけでなく、神官や花侍見習いの子たちも、エマを遠巻きにしていた。一時的に面倒を見てくれたのは、おばあちゃんと呼んでもおかしくない年齢の聖花女で、「おうちにかえりたい」と泣いてぐずるエマを優しくあやしてくれた。その方が、まさか聖花女の頂点に立つ大聖花だとは、当時はまったく知らなかったけど。 そんな大聖花も、エマと一緒にいてくれるのは、昼間だけだった。夜になるとエマは部屋で一人きりになり、泣いて過ごすしかなかった。 寂しくてたまらない日々が続き、泣き暮らしていたときに、ナタリナが侍女としてやってきたのだ。 「僕は、ナタリナが来てくれて、すごく嬉しかったよ」
彼が、第二王子の婚約者であるエマをどう思っているか、よく分からない。王太子がエマを聖樹として大切に扱っているため、同じように接することを決めたようだった。 ナタリナの兄弟騎士は、エマの要請によって任務にあたるため、エマの私的護衛のような立場になるという。 ナタリナと同じ赤毛で、髪を短く刈り込んだ青年が、ナタリナの兄だ。キリッとした顔つきで、背が高い。 「聖樹エマヌエーレ様の警護を務める、パトリック・ケイルです。こたびの任務、誠に光栄でございます。騎士とケイル家の名にかけ、必ず聖樹様をお守りいたします」 強い責任感と誠実さを感じさせる、真面目な騎士である。 「ありがとう。頼りにしています。ケイル中隊長」 「はっ!」 ビシッと敬礼する様は、仕事に徹するときのナタリナに似ていた。 背の高いパトリックの後ろに並ぶのは、ナタリナの弟、ニコラだ。赤毛を肩の上まで伸ばした彼は、小隊長になったばかりだというが、兄と違って愛嬌のある顔をしている。 「ニコラ・ケイルと申しますっ! この度は、聖樹エマヌエーレ様の護衛任務に抜擢いただき、感謝いたしますっ!」 元気いっぱいのニコラは、キラキラと目を輝かせて、エマにを敬礼した。 どうやら、今回の任務が嬉しくてたまらないようだ。 「ケイル小隊長、頼りにしています」 「はいっ! お任せ下さい!」 胸を叩くニコラに、ナタリナが厳しく言った。 「ニコラ。張りきるのはいいけれど、エマ様のご迷惑にならないように」 「分かってますよ、姉上!」 「お前はすぐ、後先考えずに飛び出すのだから、心配だわ」 「それは、姉上も同じじゃ……」 反論しようとしたニコラの頭を、パトリックがバシッと叩く。 「馬鹿者ッ! 聖樹様の前で失礼な態度を取るな!」 「いッ……! く……は、はい。申し訳ありませんっ」 ニコラは涙目になりながら、エマに謝った。 エマは気にしていないが、兄弟はサッとその場を辞して、護衛の配置につく。 (二人とも